江戸幕府の偉大な2代目 徳川秀忠について
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- Опубликовано: 8 фев 2025
- 【訂正】秀忠が征夷大将軍を継いだのは1603年ではなく1605年でした。お詫びして訂正いたします。ごめんなさい~。
#どうする家康 #歴史 #解説
※概要
家康さんから征夷大将軍を譲渡されたあとも、どのように権力の譲渡がなされたのか、さらに家康さんの死後、秀忠くんが、どのように幕府の基礎を固めたのかについて、お話しています。
2023年、NHK大河ドラマ「どうする家康」解説動画です。
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そんな堅物が魔が差して浮気して作った隠し子が超優秀で三代家光を支えた保科正之というのがなんとも
これが戊辰戦争での会津の悲劇を産んだ遠因に…
永井路子先生が秀忠は本当に政治が好きだったのだろう、と書いていたのがとても印象的でした。女や贅沢することより政治が好きな堅物…というより真面目な男だと書いていて、それ以来のずっと好きなんですよね〜。二代目は仕事を拡大するより堅実さと官吏能力が求められるのは確かなので、見事に権力を受け取り、それを子供に委譲したのが凄いですよね〜。今回も素敵な秀忠でした!
立派すぎる父親に潰される事なく、自分のやるべき事をしっかりやられて江戸幕府の基盤を作った秀忠。今回の解説で改めて秀忠の凄さを知りました。ありがとうございました🙏❣️
なかなか二代目は、先代と違う色を出したがる人種。なのに家康公の考えを理解し阿呆に徹し真面目に引き継いだ秀忠公は、偉い人。
どうする秀忠やってほしい!
今日も楽しい解説ありがとうございます😁どこの戦国大名さんも2代目の継承に失敗してる人が多い中、秀忠さんは大成功だったと思うので私は好きです。😄
継承していくってホントに難しいですよね!親と同じ能力をもとめられるけど、始まりは全く違うのだから、継ぐ息子は自分の思いは二の次に初代の思いを優先していくことを求められますもんね。徳川家の初代と二代目はタイミングがとても良かったんですよね❤
❤ありがとうございます。素晴らしい👍説明です。最高でした。やはり、遺伝子🧬、ですね。何故か、私、泪でした。😂もう〜、素敵💓💓💓
武家諸法度を制定しただけでなく、それを厳格なくらいに運用して大名たちに「これは本気だ😰」とビビらせたから効力が絶大になったのですね!皇室に対してさえも・・・全く同意です。
お疲れ様です。
私の秀忠の感想は「徳川実記」の「その性、残忍にして酷薄」に尽きると思います。
戦国の「下剋上」の世を「法」というもので終わらせた偉大な人だとは思います。
ただ、法を破れば弟だろうが、娘婿だろうが罰する非情さが家康とは違った堅物さなんでしょうね。
堅物ゆえに女の人に殆ど手を出さなかったのは微笑ましいエピソードですよね(笑)
アホも、褒め言葉になれるんだな~✨✨✨✨✨✨
今回も楽しく拝見しました
秀忠が、そこそこやり手であった事は知っていました。
秀忠は、家康から家光への只の繋ぎではなく徳川への責任感や愛だったのでしょうね
きりゅうさんのお話を聞いて、後継者としての責任感が、真面目さや厳しい行動に繋がっていたのかなと、秀忠くんに思いを馳せました。私は秀忠くんこと、JET JACKETのRyoこと、森崎ウィン君が好きでこのチャンネルに辿り着きましたが、今や、すっかりかしましファンです♡
今回のドラマの最後のほうで茶々が死ぬ直前、「この国はつまらない国になるだろう・・」なんて言ってたけど、仮に死なずに秀忠の生きざまを見ていたら「やっぱりつまらない国になりそう・・」って思ったかもしれないね。
前にも同じようなコメをしてしまいましたが、私は浜松市在住です。秀忠の産湯に使った井戸が近所にあります。行ったことないけど(笑)
今回も解説ありがとうございます。
葵徳川三代の西田敏行さん以来、秀忠推しの自分としてはこうして内政面の功績から評価されていると嬉しくなります。優秀な二代目、より正確には二代目として優秀だったのかなーと思っています。
クールで冷たい性格とのことですが、お吸い物や幽斎大三原のお話を聞くに、決して冷酷ではない人物が頑張って厳格に振舞っていたのかも知れません。西田さん森崎さんはそのような解釈での秀忠だったと感じます。
1回じゃないです。2回ですw
でも、その2回目で生まれた保科正之が異母兄の家光を補佐して、幕府はますます磐石になるのです👍
やはり自分は秀忠公を憧れていきます。秀忠公といえば身内から外様大名に本当に厳しく接したのだろう。福島正則、本多正純、松平忠直(三女の夫)本当に徳川幕府が長く続いたのは秀忠公のおかげでもあると思う。
戦国時代といういわゆる内乱状態を納めた家康も去る事ながら、その状態の維持の礎、という一番難しい役所をやってのけた秀忠の評価はもっと高くていいはず。
私も秀忠に目を向けていなかった事が恥ずかしいです。
秀忠もそうですが、家康の血筋は末代まで考えても、優秀な人を多く輩出してますよね。
家康が沢山子供を残したおかげなのか(笑)
ひとまず、徳川家康は一件落着。
来年の光る君へもたいそう期待が膨らんでおりまして、きりゅうさんの予習動画楽しみにしております!
今回も深い〜話をありがとうございます。大河ドラマや、かしましチャンネルのおかげで秀忠公に対する見方が変わりました✨好感度爆上がりです❗️
お話もいつも楽しみにしていますが、きりゅうさんの背景の変化も楽しみの一つです。いつもステキだなぁと思って見てます。今回はクリスマス、パリピ解説の時は中国の掛け軸❓だったと思います。季節ごとや解説の内容で色々と変えられているのですか❓これからもどう変わるか楽しみにしています😊
今回も楽しかったです。
今年はきりゅう先生はじめラットさん、くーさんコメ欄の皆さんのお陰で大河ドラマが面白くて面白くてwww
本当にありがとうございました。
来年も!すごく楽しみです‼
皆様、どうぞよろしくお願いします!😊
秀忠公解説も面白かったです!意外と情に流されちゃう家康さんエピソードも詳しく知りたいです🥰
西暦、リクエストに答えて下さりありがとうございます。ざっくりとした歴史を西暦で覚えてたので、時の流れが分かりやすくて助かります。
家康さんと家光くんに挟まれる秀忠くんはなかなか授業でも習わないし、ドラマでも主役にならないので、家康さん死後どうされてたのかとても詳しくしれて本当に勉強になりました。
ありがとうございます。
今回も分かりやすくて面白かったです。
大坂城を脱出した千姫に「なぜ生きて出てきた」みたいなことを言ったエピソードについても解説いただきたいです。
どうする家康では全く触れられなかった徳川御三家についてもお話が聞きたいです。
鎌倉殿の13人の時は欠かさず見ておりました。「ひかる君期待しております。」
ありがとうございます。
その一回の浮気で生まれたのが保科正之という江戸幕府を支えた逸材だったりするので…流石です
きりゅう先生!
どこで読んだか忘れましたが、家康が進めていたヨーロッパとの交易を秀忠が方針をガラッと変えて鎖国に舵を切って幕末の動乱に繋がったんだぁと言う記事を読んだ記憶が?そのあたりはどうなんでしょうか?
武士としてはダメだけれど、政治家としては優秀とは、まさにピッタリの時代に生まれて来た人ですね。父家康と協力し、京での朝廷公家対策(家康)と江戸の政(秀忠)を分割してそれぞれ統治に専念するスタイルで、現実的な合理性を感じます。武家諸法度、禁中並公家諸法度を用い、武家、公家を統制したのも見事ですが、紫衣事件では天皇にさえ歯向かうとは、驚きました。でも秀忠は、娘和子入内の際にも既に天皇に別の女性との間に子供が生まれているのを非難した実績があるので、逆らうかもしれません。死に際し、父のように神号を受けるかと天海に訊かれ、己の分際をわきまえ人しての埋葬を願ったというエピソードは、何だかいいですね。7年で41件も改易した非情な将軍にも、心に思うことがあったのでしょう。
寧々さん、加藤清正や福島正則、黒田長政だけでなく、秀忠も上手に育ててたんですね。実子は出来なかったけど、子育て上手な方だったんですね。
秀忠くん、大河ではヤワヤワなキャラクターだったけど、家康さんが亡くなった途端側近チェンジするなんて、ほんまにクールやな。具体的なエピソードを教えてくれて、ありがとうございます。
家光が家康に憧れ過ぎるあまり、長生きした戦国時代の生き字引で外戚になった伊達政宗を大事にし過ぎて、政宗が江戸城でお酒を飲み過ぎて切腹物の粗相をしても、仙台で新しい城を建てても許しちゃう(本当にバレてなかったのか?)話も好きです。
祖父の築いた財産を父の代で無くしました。父の口癖が3代目がしっかりしないと家が潰れる…って。
反面教師で育った私は、二代目こそ要だとずっと思ってきました。秀忠さんサイコーです😊
保科正之について是非ともきりゅうさんにお話ししてほしいです。
葵徳川三代の西田敏行さん扮する秀忠が一番印象に残っているなぁ。オドオドして父の顔色ばかり窺って、姉女房の尻に敷かれって放しで…とにかく頼りなさの塊であった。それが、家康死後は将軍としての貫禄もついて、毅然と様々な事に当たっていく…この秀忠の変化も、同ドラマの見所であった。
秀忠が失敗しないようにしないようにってしてたのは、関ヶ原で遅刻したことがトラウマになってたのかもしれませんね、と思いました。
今日も楽しいお話をありがとうございました😊
戦は苦手でも、政治はバッチリっていうパターンは、室町(足利)幕府でもありましたね。初代将軍・尊氏の弟 直義(ただよし)です。尊氏は戦上手で直義はへなちょこでしたが、政治は直義に任せきりで「副将軍」といわれるくらい。まぁ、この兄弟は後に大喧嘩やらかしますけど💦
つくづく思うんですが、秀忠の才覚は確かに家光も受け継いではいるんだけど、それ以上に受け継いでいたのが保科正之だったんじゃないかな?
秀忠といえば、西田敏行さんですね❗😀
きりゅうさんのお話を聴いている内に「阿保の坂田」のテーマ曲が「阿保の秀忠」に変換されて脳内に鳴り響いてしまいましたw でも、秀忠公の立派な部分を知る事が出来てとても良かったです!己に求められている事を理解し、実直にそれを守る事は中々に難しい事であろうと愚考致します。私なんぞには逆立ちしたって無理だなぁと感じます。阿保は偉大だ!
秀忠は「偉大な守成の人」ですね!家康公の亡き後に「なめられてたまるか!」的な部分もあったのかなぁ?と思いました。父がダークと言うなら、子は超冷徹な一面・・・ですね!家康公が女性を当てがった話は初めて聞きました😅唯一の不倫?の子は保科正之ですね😁お江との関係は、年上女房だけにかかあ天下だったと言われますが、基本的に夫婦仲が良かったと思います。でも男なら気の迷いも一度くらいはあるわなー😂あっ、家康公もなかなか認知出来なかった、結城秀康の件があった!
戦の才能は無かった説ですが~小さめな戦で失敗も含めて経験値を積む機会が少なかったせい(少年期に秀吉の天下一統が成立・戦が減る)もあると思います。文禄慶長の役にも出陣はなく、実質的に?関ケ原が初陣で、しかもいきなり大軍の指揮を任される・・・参謀の有力家臣を付けられていたとしても、秀忠には少し酷な面があると思います。
家康公も若い頃には武田氏などに結構苦戦しておりますし、信長同盟軍としても死地をくぐり抜けているし、それだけに鍛えられて経験を積むことが出来ました。関ケ原⇒大阪の陣の約15年の間隔も各大名・武将の代替わりが当然あり、初陣だった武士も多いと思います。まぁ、才能的に素晴らしい軍略の才が有ったか?の評価は直ぐには出せませんが、世代の違いと言う面で秀忠さんを見てあげてください😅娘のお千に「なぜ秀頼とともに自害しなかったのだ!」と言ったと伝わる話も「非情!😰」と思わせますが、周りの手前であって⇒心中では「よくぞ無事でいたのう~」でしたでしょうね。
フジテレビ系大奥での渡辺いっけいさん高島礼子さんで脳内再生しました(*^^*)
茶々の最後の独り言…
現代に生きる我々への強烈なメッセージと感じました……
まぁ当然スタッフさん……脚本家さんプロデューサー、デレクターさん達の創作でしょうけど…
6話目辺りまでは…オイオイ大丈夫か今年の大河は…と思っていましたし勝頼氏真家康共謀での共和国的な話も…アレアレ…??でしたが、そんな説も有り得そうな…と思える…ラストから思い返して考えると伏線回収も良く練られた面白くて楽しめた大河でした!
きりゅうさんの楽しい解説も楽しめました!ありがとうございました!
ドラマでは、豊臣の2代目である秀頼に対して引け目を感じていたようですが、徳川幕府の確固たる基盤を構築した秀忠は2代目としてとっても優秀ですね。たくさん改易をしたら徳川を潰そうと反乱が起きそうですが、そうはならなかった政治力は本当にすごい。
秀忠くんの冷たい面といえば切支丹弾圧を始めましたね!
それもありましたね!
小説「影武者徳川家康」では秀忠の冷酷な面がすこぶる強調されていました。近々での実写時代劇では白面の山本耕史氏が演じてよく似合っています。
秀忠=どんくさい
のイメージを変えます。
くそ真面目将軍ですね
2代目って本当に大変な立場だと思います。◯ッ◯モーターや2代目が残念で会社も残念な事になるケースもあるので秀忠君は、立派に2代目の役割り果たされと思います。お江ちゃんも年上女房でしっかり支えたんだと思います😊
秀忠君の浮気のお陰で、幕府は保科正之と言う傑物を手に入れる事が出来た。ある意味これも秀忠君の功績では😁。
マジでそう思います!
家光がお江さんの子ではないという説もあるとどこかで見ました。身ごもりの時期に2人に接点がないとか。
でもいいですね秀忠。好きになりました。
秀忠の20歳上の兄に信康、5歳上の兄に秀康
個人的に秀忠の政治力は、管仲、諸葛孔明、房玄齢に勝るとも劣らないと思ってます。
その一回きりの秀忠の浮気で生まれた子供が、3代家光を支え、これまた徳川の世を盤石にするんですよね
秀忠さんは骨から毛むくじゃらで若々しく筋肉質で鍛錬された体だったと言われてるのでちゃんと戦ったら凄かったのかな?と思ってました。お顔から毛むくじゃらは想像できませんけど、、笑
秀忠さん賢い二代目
出来ない二代目さんの場合戦が何か起きて世があれて収拾つかなくなると思います
よく性格でていると感じました
家康さんは現代だったら、死亡保険は亡くなる直前に掛けて、最小限の払い込みで受け取りはがっぽり、年金も払い込んだ以上に受け取ってから亡くなったのでしょうね。
秀忠くんはお江ちゃんに先立たれた後でも側室を迎えていないから、もともとあまり女性にがつがつしていなかったのかもしれませんね。
今日は🎵いつも楽しく拝聴しています。クーさんとても面白いですね。歴史とは関係無いかも知れませんが、きりゅうさんならわかるかなと思って。天皇家の女性の名前はみんな、子になっていますが、子でないといけないのでしょうか? 今の若い子は、キラキラネームなので、悠仁様に見合う女性が子でなかったなら、どうなるのでしょうか?
色に堅いのはねね様の影響もあるのかとも思います。
女色に惑わされることの為政者としての危うさを幼少期から身に染みて理解してきたのかなとも。もちろんねね様=母=お江に対しての愛が根底にあるんでしょうが。
こんばんは🌙😃❗
秀忠さんがねねさんに良くして下さっていたんですね、家康さんかと思っていました(^o^;)
NHKの家康の世界地図~知られざるニッポン゛開国゛の夢と言う番組で家康さんは開国(条件付き)に傾いて居たのに、秀忠さんが鎖国した様な内容に成っていましたが、実際にはどうなのでしょうか❓
あっ❗又質問してしもうた( ・ω・)∩シツモーン…… ごめんなさい
m(_ _)m
秀忠くんの代に鎖国してますが、家康さんも晩年はスペインに嫌気がさしてましたからね~。
わぁお(‘0’)お返事頂き有り難うございます💖嬉しい😆💕
確かにスペインはめちゃくちゃな要望をぶつけてました😅💨
秀忠君は家康さんの考えを忠実に受け継いでいたんですね。
有り難う御座います勉強になりました(* ´ ▽ ` *)
生配信お疲れ様でした、とても楽しかったです、次回も楽しみにしていま~すo(^o^)o※。.:*:・'°☆✨
やっぱ西田敏行と岩下志麻だよな~
なんか義時と重なるなって思いました。
きりゅうさんの喋りが速い〜😭
(編集で1.25倍か1.5倍操作してますよね💦)
耳が滑る滑る。
聞いててキツいです💦
秀忠さん、
先代と次代に挟まれてて、歴史上ではあんまりパッとしてないですが、徳川将軍の中ではダントツで好きです。
ちゃんと徳川幕府を継続させるための基礎を作った人という認識でいます😊
その一回って保科正之ですよね〜。でも、なんか「江 姫たちの戦国」の時は向井理くんがちょくちょくやらかして、上野樹里ちゃんに怒られてたような🤔 結城秀康にしても保科正之にしても不遇の子供だけど立派な人物になるとは👏👏
福島正則は可哀想だったなぁ。女帝即位は皇室側が一矢報いたかも。天皇の外戚が一代限りだったので。
今回秀忠の解説を聞いて、バカ殿を演じたと言われる前田利常のことも思い出しました。本当に優秀な人は、立場をわきまえてときにバカを演じることもできる人なんでしょうね。
それと寧々さんに可愛がられたエピソードは初めて知ったのですが、秀忠の「秀」は、秀吉からもらったものなのでしょうか?徳川政権になってからも「秀」の字を使い続けたことが前々から疑問だったのですが、秀忠は豊臣家に悪い印象がなかったのかもと今回のお話を聞いて思いました。
RUclipsで、初めてコメントしてます。毎日、楽しく拝見しいます。
秀忠さんの印象大きく変わりました!そこで、質問です。中学生の頃に見た、葵三代の大河ドラマで、
家光が秀忠を通り越してニ代将軍だと、触れ回っていると、秀忠役の西田敏行が言われているのが、とても印象に残っています。20年以上前のうる覚えで、それ以上の話は全くおぼえていないのですが、あれは創作でしょうか?家光は秀忠のことを軽んじていた?2人の仲はあまりよくなかったのでしょうか?秀忠は地味で誠実で、家光は派手なイメージがあり正反対な印象です。
初コメありがとうございます。秀忠と家光の仲は、よくなかったと思いますよ~。跡取り問題でも揉めてましたからねw
STAYhungry、STAYfoolish
芯を持ってたんだね。クールの面もあるけど、
父親を立てるし、
小江さんに、頭上がらないのは、織田の血だから仕方無いよね~?
(1/5)
家光の時代に明歴の大火が発生し江戸市街の6割が消失。江戸城の天守閣も消失し、再建へと。しかし、これに保科正之(秀忠と町屋の娘との間の子で初代会津藩主)が待ったをかけた。会議の場で、「戦国の世ならいざしらず、太平の世にて天守閣は物見の塔に如かず。天守の再建よりも江戸の町の再建に金銀を使うべし。」と言い、家光も承諾。江戸城の蔵の財宝は江戸の町の再建や炊き出しに使われ、江戸庶民は助かりました。これも秀忠の浮気の功名でしょうか。(^o^)/
徳川秀忠の皇室戦略は完全に失敗だったと思います。
本来は後水尾天皇に嫁いだ娘に男子を産ませて外戚になるつもりでしたが、明正天皇を即位させることで阻止しました。女性天皇は生涯未婚なので、徳川の血脈は絶たれます。
朝廷も幕府が大御所というものがあるように朝廷には院政があるので、後水尾上皇はそちらで朝廷を押さえてました。
そもそも明正天皇の即位は称徳天皇以来、859年ぶりの大事件です。
1603年は家康が将軍になった年で、秀忠に将軍職を譲ったのはその2年後です。
ご指摘ありがとうございます。
こんにちわ!秀忠54歳若く死んたんですね。!本多正純が改易なったのが気の毒かも?260年江戸幕府が続いたから凄い!2代目凡庸と言われてたから常に自分を制してたから自分にも厳しく家臣にも厳しくですね
影武者徳川家康だと、秀忠のクールな部分に着目して、見事な悪役にしてますね。
魔が差して出来ちゃった子供w
会津松平藩の始祖、保科正之さんのことですね😅
家康が秀忠に跡を継げさせたのは、信康は岡崎城主の時家康の家臣達に岡崎城の近くに家を作らせたりし家康がいる浜松城を行ったり来たりさせていた。これでは、誰が主人かわからない。切腹事件もこれが原因なのかもしれません。
次男の秀康は鼻欠け大名と云われていて、梅毒の可能性が高い為つまりあまり生きていけない。家康は誠実のふりをしていたが秀忠は本当に誠実だと笑いながら、家康が云ったとか。
実際にはもしかすると、秀忠は家康を恐れていた可能性もあるのでは⁉️
我が子である信康を処断する鬼のような父親だから(実際の事情はどうあれ)、勘気をこうむらないように過ごしていたのかも。
婆さんトリオ、平均、70
越え。
お江強い笑笑
家康が数多の戦をくぐり抜けて江戸に政権を樹立して、250年近く政権が維持できた基礎は、秀忠による地均しの賜物であったと考えている。
戦乱の世から太平の世への過渡期は、価値観や倫理観も大きく変わることとなり、一つ手を打ち間違えていたら、足利政権のような泥沼の政権となりかねなかった。
秀忠による政策は、
1.法治国家として法令に基づいた政策を推し進めたこと。
2.過剰ともいえる改易(とりつぶし)を実行して、政権維持に努めたこと。
3.武家のみでなく、天皇家・公家にも影響力を及ぼした。
だが、恐るべきは数多くいた男子の中から、秀忠を後継ぎとした家康の先見の明。
時代の趨勢を読み切っていたとしか思えない、正に「慧眼」。
「禁中並びに公家諸法度」の「並びに」の箇所について。
教科書では送り仮名なしで習いましたが、今は違うのですか?
家康が秀忠に征夷大将軍を譲ったのは、1605年ですよ( ͡° ͜ʖ ͡°)。
信之なんかは真っ先に消されそうだけど、続きましたね。
平身低頭…、何から何まで当たらず障らず?苦労したんでしょうね。
信康、秀康、秀忠、忠吉、信吉、忠輝、松千代、仙千代、義直、頼宣、頼房、はてさて、誰が天下人で、よかったやら
家康さんの三男で、二代将軍秀忠さんの、話は、知ってます。奥さんは、江さんです。どうする家康では、秀忠さん役はは、森崎ウィンさんしてました。とても。演技凄く、背が高くてイケメンだったよ、秀忠さんは、うっかり浮気して、浮気相手が出来ちゃって隠し子騒動あったみたいですね。家康さんも、うっかり浮気して、浮気相手が出来ちゃって瀬名さんから、起こられたエピソードあったから、やっぱり、家康さんも、秀忠さんも、親子だね
私の記憶に間違いがなければ家光(竹千代)の上に2歳年上の男の子がいてその子はお江に殺されたのではないかという噂があります。そして保科正之の母とわかってるだけでも合計2人、保科正之が預けられた原因はお江に殺されないように隠したのでは・・・。秀忠だって男、お江が怖かっただけなのでは(笑)
stay foolish ってことかな。
徳川秀忠の征夷大将軍の辞令(宣旨)「壬生家四巻之日記」
權大納󠄁言源朝󠄁臣秀忠
左中辨藤󠄁原朝󠄁臣總光傳宣
權中納󠄁言藤󠄁原朝󠄁臣光豐宣
奉 勅件人宜爲征夷大將軍者
慶長十年四月十六日
中務大輔兼󠄁右大史算博󠄁士小槻宿禰孝亮奉
(訓読文)
権大納言源朝臣秀忠(徳川秀忠 27歳 内大臣正二位右近衛大将)
左中弁藤原朝臣総光(広橋総光 26歳 正四位上・蔵人頭兼帯)伝へ宣(の)り
権中納言藤原朝臣光豊(勧修寺光豊 30歳 従三位・武家伝奏)宣(の)る
勅(後陽成天皇 35歳 みことのり)を奉(うけたまは)るに、件人(くだんのひと)宜しく征夷大将軍に為すべし者(てへり)
慶長10年(1605年)4月16日 中務大輔兼右大史算博士小槻宿禰孝亮(壬生孝亮、30歳 従五位下)奉(うけたまは)る
※因みに、秀忠の任官叙位の辞令(宣旨等)の一部には豊臣秀忠名義のものもあるといった論考もある。
(下村效『日本中世の法と経済」1998年3月 続群書類従完成会発行)
鎖国をしていても日本は数学や建築がとても優秀でした。鎖国をせずに海外の情報をもっと取り入れていたら、さらに優秀な技術が開発されていたでしょう。庶民ももっとましな生活が出来たのではないか・・・ だから鎖国政策は大きな間違いだったと言えるはずです。
秀忠アホ説の当否はともかく気になったのは字幕で阿保と出ていたことで、アホなら阿呆の字では?
阿保だと歴史上阿保親王がいらっしゃるし苗字の阿保さんや兵庫県姫路市阿保、大阪府松原市阿保など地名にもあります。蛇足ながら姫路市内の阿保クリニック(肛門外科他)松原市内の阿保クリニック(精神科他)というのは(爆
誤字のご指摘ありがとうございます。
ご返信ありがとうございます。補足すると人名の阿保は“アボ”です。私の知人にその名前の人が居てまして“アボチン”なんて呼ばれてましたね。産まれる子の将来を考えて改名してしまいましたけど、悪ガキなら阿保進也を(アボチンヤ)阿保信男は(アボチンオトコ)と読みそうですからね┐(´д`)┌ヤレヤレ
この『阿保』の漢字は乳母を意味するものなので『阿呆』で宜しいと思われます。
誤字のご指摘ありがとうございます。
過大評価しすぎ。苦労知らずで、冷たい奴!自分では3代めも決められなかった!